ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

ジョゼフ・コンラッド「チャンス」(邦題仮)第一部第三章メモ

ジョゼフ・コンラッドの小説「Chance」第一部第三章から、気になることをここに書きつけていく。ページ番号は手元の[オックスフォード本]のもの。

Chance Part 1 Chapter 3読解メモ

Page 53, in a brown study

ここは「茶色の書斎」ではない。

He ceased and sat solemnly dejected, in a brown study.

広く辞書に載っているようだが[COD][OALD]、古めかしい表現で、考え込むような状態を言う。Wiktionaryのbrown study項の語源欄によれば古くはbrownにgloomyの意味があったのだという。

Page 54, de Barral

人名であるが日本語でどう表記するか?先を読むと「明らかに」フランス名まえであるそうだ。たぶんマーロウがフランス語読みで発音したのかもしれない。「ド・バラル」としておく。

 

She is the daughter and only child of de Barral.

Youtubeで聞いたことのある朗読では確かdeはD(ディー)のように発音していたと思う。

Page 54, There they lie ... anonymous memories.

マーロウが自分が名まえを思いだすのに手間取ることについての理由を述べるところ。この部分は[フランス語訳]からも[イタリア語訳]からも(該当の訳文が)申し合わせたように欠落している。

There they lie inanimate, awaiting the magic touch—and not very prompt in arising when called, either. The name is the first thing I forget of a man. It is but just to add that frequently it is also the last, and this accounts for my possession of a good many anonymous memories.

いかにも、あらずもがなの内容であり、きっとそういうバージョンの原文もあるのであろう。

安置されて魔法に小突かれるのを待つ―で呼ばれてもすぐ起床というわけにも行かないんだな。名まえは人間について僕の真っ先に忘れるものだ。×それを加えるのが、往々これまた最後となるのだから、道理で僕の記憶の相当量が匿名なわけだ。[丸香] 

 下線部はit is but just to addの読み間違いらしい。どうも「追加するのがただ適切」という感じように読むらしいのだが、それでは文全体の意味がはっきりしないから再考中。

Page 55, the Incredible

(引き続き)マーロウの独演部分。何を指すのか具体的には不明。

I don’t think that a mere Jones or Brown could have fished out from the depths of the Incredible such a colossal manifestation of human folly as that man did.

[フランス語訳][イタリア語訳]はそのままl'Incroyable、 (del)l'Incredibileだから原意を求める助けにはならない。小文字のthe incredibleなら「闇の奥」にも出てくる。手持ちのペンギンクラシクスなら33ページ、岩波文庫なら70ページ、光文社古典新訳文庫なら69ページ。意味ははっきりしない。そこもマーロウのことばだが、他にコンラッド自身のthe incredible使用例もある。やはり「信じ難きもの」くらいに読むしかないように思う。

www.azquotes.com

Page 56, Nobody ever came near her.

文字通り解釈して良いのだろうか?読み進むと、村人皆にやさしく、だれとでも話す(用意があった)とあるし、話相手もいる。非常に限定されたNobodyに違いない。しかし、翻訳は書いてあるとおり「だれとして近づく者はない」とかで良いだろう。

Page 58, patronizing young men of sorts—of a certain sort.

主要部(head)はpatronizingなのかyoung menなのか、あるいはyoung menはpatronizeするのかされるのか、あるいはpatronizingは動名詞か形容詞か。これは、あいまい英語の見本みたいな文だ。

She was nearly forty and harboured a secret taste for patronizing young men of sorts—of a certain sort.

既存の翻訳と同様、この女性がyoung menをpatronizeしたいのだと解釈するのが順当と思われる。気のせいか[フランス語訳]にも[イタリア語訳]にも原文のあいまいさが若干残っているようだ。邦訳も、それほど明確にしないほうが原文の雰囲気が出て良いかもしれない。おまけのof sorts以下はよくわからないが、印象を日本語化する。

もう四十にも手が届こうという婦人はひそかに、世話のできる適当な若い男連中―特定種の男性を求める嗜好を懐いた。[丸香] 

「適当」はいわゆる、テキトーの意味。ここでは適用なのか不明なのだが、一般にof sortsには「そう呼ぶほどのものでもない」という意味の場合がある。

Page 59, chambers in the Albany

インターネット検索するとウィキべディアにロンドン、ピカディリーの集合住宅のthe Albanyが見つかる。もとは18世紀の邸宅で建築家はSir William Chambers。

en.wikipedia.org

ところが[オックスフォード本]の注ではロンドン、ウェストミンスタ、ピカディリーはずれの金融センターとある。同じものなのなのかあやしい。

At that time I used to know a podgy, wealthy, bald little man having chambers in the Albany

 

読み進むとchambersはapartmentとわかるので、最初の集合住宅で妥当と思われる。なぜ最初にchambersと言っているのだろう。アパート(フラット)だが業務に使用していることもあるだろうが、もしかしたら建築家の名まえと関連づけているのかもしれない。マーロウの記憶術かとも思うが考え過ぎであろう。

当時、僕はジ・オールバニにチェーンバズ(続き部屋ひと揃い)をもっている裕福で禿頭の肥満の小男と知り合いだった。[丸香] 

Page 60, it amounted to a species of good nature

翻訳上、必ずしも支障はないけれど、正直、このitが何を指すかと問われたら直ちには答えられない。

You may believe that I entered on my mission with many unpleasant forebodings; but there was in that fat, admirably washed, little man such a profound contempt for mankind that it amounted to a species of good nature; which, unlike the milk of genuine kindness, was never in danger of turning sour.

 まあa profound contemptだろうか。確認してみると、既存の翻訳は皆そういう解釈だ。

君も察するようにいかにも僕は不愉快な成り行きを予感しつつ自分の任務に赴いたわけだ。が、あの肥満の感心するほど洗浄された小男には人類への侮蔑があって、その念の深いおかげで、効果として、たちの良い別種のものであるも同然だった。それは乳に見立てられる本当の人情とは違い、傷んで酸くなるおそれはない。[丸香]

 なお、人情が乳というのはシェークスピアマクベス夫人のことばに由来する。

writingexplained.org

Page 63, It was of course sensational and tolerably sudden

この文は[フランス語訳]からも[イタリア語訳]からも(該当の訳文が)申し合わせたように欠落している。tolerably suddenのtolerablyはおかしい。おもしろいのだろうか?

 

もちろん、それは衝撃的で、ほどほどに急だった。[丸香]

 

Page 63, an enormous number of scores of lakhs

インドの王族の訴訟の請求金額の話。これがどれだけの額なのか不明。an enormous number ofの読み方として二通りあるように思う。それがあることによって数字が大きくなると解釈する( scores of lakhsが莫大にある)か否か( scores of lakhsは莫大である)。 scores of lakhsは莫大であるかかなり怪しい。scoreは20とも読めるがscores ofはたくさんと言っているだけかもしれない。lakhは(lacと綴る場合もあり)十万。単位は暗黙にルピーなどを想定する。

It was an enormous number of scores of lakhs—a miserable remnant of his ancestors’ treasures—that sort of thing.

既存訳に当たると、[禿木]は「何でも何百万という、大層もないもの」。「何百万」はscores of lakhsの値と思われる。単位はない。[フランス語訳]はun nombre fantastique de centaine de roupiesで数百ルピーとすることで疑いを深めている?名訳かも知れない。[イタリア語訳]はuna cifra enorme, decine di milioni di rupieで、要は数千万ルピーと読める。an enormous number of自体は数字の値に影響せず、単に評価であると解釈したと思われる。「数千万」の根拠はよくわからないがscores ofを「数百」と処理した感じか?

要するに、いいかげんな数字表現だと思われる。

数十ラーク単位の莫大な額で―王子の先祖の財宝のみじめな残りかす―というようなものだ。[丸香]

Page 63, or from both

論理的に厳しい。

I don’t know if it was from utter lack of all imagination or from the possession in undue proportion of a particular kind of it, or from both—and the three alternatives are possible

素朴には、最初の二つは両立しそうになく、したがって三番目は可能性ゼロだと思う。それでも三つが可能であると言う。
そう書いてあるのだから仕方ない。

果たして単に想像力の全面的な欠如のせいなのか、ある種の想像力が相対的に過剰であったせいなのか、あるいは両方のせいなのか僕にはわからない―そして、これら三つの選択肢のいずれにも可能性がある[丸香]

両立しないと言ったが、精密に考えると両立するようでもある。第一の選択肢は各方面の想像力の絶対値がゼロであることを言う。第二の選択肢は相対的な話であり、ある方面とほかの方面の想像力の比を問題にしている。その比をゼロにせず各方面の想像力をゼロに近づけることは可能である。(高等数学風に書いてしまったが、ゼロ分のゼロの値が不定である、という中学?数学での理解でもよい)

Page 69, makes up its meteorological mind, suffers from spleen

このイギリスの気候を擬人化する記述から、次の段落のほとんど(合わせて半ページ強)が、[フランス語訳][イタリア語訳](の原文)にはない。気候を最初はitで受けているがそのうちhim, heになる。読んでいるとso warm and friendly, so accomplishedのあたりで気候を形容することばとしては妙だなあ、と思い、makes up its meteorological mindで擬人表現であることが決定的になる感じ。後者は決心する(makes up its mind)ということなんだが、人間でないとさすがにおかしいからmeteorologicalを入れたので、擬人化のマーカー以上にはほぼ無意味と考えられる。

I was aware of it on that beautiful day, so fresh, so warm and friendly, so accomplished—an exquisite courtesy of the much abused English climate when it makes up its meteorological mind to behave like a perfect gentleman. Of course the English climate is never a rough. It suffers from spleen somewhat frequently—but that is gentlemanly too, and I don’t mind going to meet him in that mood.



脾臓spleenには二通りの解釈が考えられる。ひとつは不機嫌、癇癪など怒りっぽい症状。こっちのほうが英語としては(古めかしいが)普通なのだろう、たいていの辞書にある[OALD][COD]。もうひとつはメランコリーに近い意味で、こちらはWiktionaryにもあるがさらに古くさい(archaic)[Random House]。フランス語に輸入されたのはこの意味。フランス語に達者なマーロウがイギリスの天候について語っており、そんな具合のときに出て行ってもよい(going to meet him)と言うのだから、ずばり後者の意味を選択しても良いだろう。[禿木]は前者「癇癪」を採用している。

あの晴天の日に、それに気づいていたのだ。とても爽快で、とても暖く人当たり良く、とても完成された―さかんに不当に扱われる英国の気候だが、それが完全な紳士の振舞をしようと自分の気象的気持ちを決したときの殊勝なはからいの日に。もちろん英国の気候は決して乱暴なことはない。やや頻繁にふさぎ込む―がそれも紳士らしくであって、そういう具合の彼に会いに行くのも構わない。[丸香]

 心に余裕がないと付合いづらい文章である。

 

 

文献

それぞれの項目内に明記したものやリンクしたもの以外、主な情報源は以下のとおり。

原書

オックスフォード本

Chance (Oxford World's Classics) 2008, ISBN: 978-0199549771

邦訳

禿木

平田禿木訳、国民文庫刊行会、世界名作大観「チャンス」

丸香

青野丸香 訳(準備中)ドラフト

辞典

COD

H W Fowler and J B Sykes, The Concise Oxford Dictionary of Current English (6th Edition), Oxford University Press 1976, ISBN: 0-19-861121-8

 

OALD

A.S. Hornby, Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English 4th edition 1989

 

Random House

The Random House College Dictionary, ISBN: 0-394-43500-1

 

イタリア語訳

Il caso

Il caso: Un racconto in due parti, traduzione di Richard Ambrosini, Adelphi  2015, ISBN: 978-8845930003

フランス語訳

Fortune

Fortune, Nouvell traduction établie par Roger Hibon, Gallimard 1989, ISBN: 978-2070380909