ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

ジョゼフ・コンラッド「チャンス」(邦題仮)第一部第四章メモ

ジョゼフ・コンラッドの小説「Chance」第一部第四章から、気になることをここに書きつけていく。ページ番号は手元の[オックスフォード本]のもの。

Chance Part 1 Chapter 4読解メモ

Page 77, a riding habit

ここは「乗馬の習慣」ではない。

She was then within a few days of her sixteenth birthday, a slight figure in a riding habit, rather shorter than the average height for her age, in a black bowler hat from under which her fine rippling dark hair cut square at the ends was hanging well down her back.

乗馬の服装を言う。

Page 86, lifting that money

このliftはstealの意味で読んでもよいはず。

 

What about lifting that money without wasting any more time?

やっかいなのはあとで(続く段落で)これは間接的にstealingなのだとわざわざ説明があること。ではここでは読者はstealと同じ意味とは解釈しない想定か?

Page 88, the passing maid

この「文」には二つ問題がある。ひとつは文になっていない(ように私に見える)こと。マーロウの話の一部なので致命的ではないが、話法があいまいで、珍しくくどくどした説明がないせいもあって、一見書き損じのような印象がある。[フランス語訳]、[イタリア語訳]は原文と同様、文にならないものに置き換えている(ように私に見える)。[禿木]は(主語のない)文に整えている。和訳ではそうしないのがむずかしいのかもしれない。

Once outside, the servants summoned by the passing maid without a bell being rung, and quick, quick, let all this luggage be taken down into the hall, and let one of you call a cab.

もうひとつはthe passing maidの意味。筋書としてはこれがgoverness(女性家庭教師)のことだとわかりやすいのだが、maidでは無理だ。[禿木]はthe passing maidを「小間使い」としているようだ。それで全体としては意味が通る文に成立させている。結果としてはsummonedをwere summonedと読んだのと同じだろう。

そとに出るなり直ぐ、呼び鈴を鳴らさないで、通りがかりの小間使いに召し使いを呼ばせ、早く早く、この荷物を皆玄関に下し、誰かひとり辻馬車を呼んでおいでと命じた。[禿木]

文脈の中では、書かれていないgovernessがmaidを介して作業が間接的に指示したということだ。矛盾しないが、今のところ処置としては、原文に表面的に書いてあると思われることを書き下しておく。

ひとたび出ると、召し使いたちは、通る女中にベルを鳴らさず呼ばれて、早く早く、この荷物を全部ホールに降ろしてと、ひとりはキャブを呼びなさいと。[丸香]

いずれ再考したい。

Page 90, the personality completely ignored

このignoreは「無視する」というより、気がつかない、考えつかない、見逃してしまう、に近い意味で読まないと話が通じない。

The stress of passion often discloses an aspect of the personality completely ignored till then by its closest intimates.

最後のintimateという名詞はintimate friendのこと。

情熱の重圧は往々にして、それまで最も親密な友にさえ完全に見過ごされてきた人格の側面をあばく。[丸香]

[フランス語訳]、[イタリア語訳]はそれぞれ動詞ignore、 ignorareを使っていてやはりそう読める。

Page 92, grown on to the carpet

ここはフローラ・ド・バラルのことば。辞書では確認できていないがgrown on to the carpetというのは絨毯に引っついたとか、絨毯と一体化しているという感じか。

Directly I had looked into her eyes I felt grown on to the carpet.

最初のDirectly は接続詞。

用例をネット検索するとわかるのは、ジャケットにフードがついているというような場合a hood is grown on to the jacketとか言えるようだ。洋裁でそでの部分を胴の部分に縫合(?)するような場合にもgrown on toという文言があったと思う。チャンスの場合、あとから(2ページ先)出てくる記述によると足が埋まっているということらしい。これはまたマーロウのことば。

The effort of it uprooted her from that spot where her little feet seemed dug deep into the thick luxurious carpet, and she retreated backwards to a distant part of the room, hearing herself repeat “You mustn’t, you mustn’t” as if it were somebody else screaming.

前者の引用の現状訳はこう。

その目を見ると途端に自分が絨毯といっしょになったように感じた[丸香]

後者の引用の現状訳はこう。

その拍子で、分厚い贅沢な絨毯にかわいい足が深く埋まっていたその場からすっぽり抜け出て、部屋の遠くに後退しながら『だめ。だめ』と繰り返す自分の声を、あたかも他人のそう叫び散らすように聞いた。[丸香]

Page 94, last for ever so long

[フランス語訳]、[イタリア語訳]はfor ever so longを永遠(une éternité、un'eternità)ということばを使って処理している。[禿木]もそれに近い。それはever soをto any extentと[COD]を解釈するのに相当する。

The next few seconds seemed to last for ever so long;

ここはマーロウの語り。口語ではever soはveryの意味にもなるから弱めて、last for very longとも読んでも良いだろうか。

次の幾秒かがとても長く続くようだった。[丸香]

 

文献

それぞれの項目内に明記したものやリンクしたもの以外、主な情報源は以下のとおり。

原書

オックスフォード本

Chance (Oxford World's Classics) 2008, ISBN: 978-0199549771

邦訳

禿木

平田禿木訳、国民文庫刊行会、世界名作大観「チャンス」

丸香

青野丸香 訳(準備中)ドラフト

辞典

COD

H W Fowler and J B Sykes, The Concise Oxford Dictionary of Current English (6th Edition), Oxford University Press 1976, ISBN: 0-19-861121-8

 

OALD

A.S. Hornby, Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English 4th edition 1989

 

Random House

The Random House College Dictionary, ISBN: 0-394-43500-1

 

イタリア語訳

Il caso

Il caso: Un racconto in due parti, traduzione di Richard Ambrosini, Adelphi  2015, ISBN: 978-8845930003

フランス語訳

Fortune

Fortune, Nouvell traduction établie par Roger Hibon, Gallimard 1989, ISBN: 978-2070380909