ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

雑談:地の果て、世界の果て

チベット旅行

先日、ポール・セルー(Paul Theroux)の旅行記を読んでいたら、こんな文に出くわした。

Crumpled together on the seat, they looked like poisoned lovers in a suicide pact.

suicide pactというのは知らないがきっと「心中」のことに違いない。

和英辞典を引くと「心中」の項にはdouble suicide、family suicide(一家心中)の訳語があった。日本特有のもののような印象もあったが、Googleしてみると少なくともsuicide pactというものは、そうではないようだ。日本に限らず昔からある概念らしい(Wikipedia記事の受け売り)。意味としては(文字通り)複数の人間が申し合わせて自殺する企画という感じか。

引用の文の場合、そのとき作者自ら運転していた車の後部座席に、ぐしゃっと眠りこむ男女の姿を見つけ、それがまるで服毒*1自殺中の心中カップルみたいだった、ということだ。チベットのラサに向う道中でのこと(Driving to Tibet)。その自動車は三菱自動車のギャランであり、「ridiculous Galant」、「ridiculous little Nipponese car」などと呼ばれ、さんざんだ。

出典(1994)はそれ以前に出版されたPaul Therouxの旅行記数冊の中からエピソードを選んで集めたもの。

To The Ends Of The Earth: The Selected Travels Of Paul Theroux

ISBN: 978-0804111225

3年前、会社の出張の移動中に読もうかと思い購入した本。実際には、ちょっぴりしか読めなかった。

中華プライド

その眠りこむ人の片方は実はその自動車の本来の運転手であった。その人の振舞の説明にChinese prideということばが使われていた。往々やっかいなもので、意地とか面子の感じだと思う。また「それでは面目まるつぶれ」みたいな感じでWhat a loss of face for him if...とも言っている。そっちはよくある表現だ。

そうだ、英語だってloosing faceとかsaving faceとかいうじゃないか。その人がChineseでなかったらプライドにChineseとつける必要もないのかも・・・実はloosing faceというのは19世紀にChineseのことば(おそらく丟臉)の訳語として生まれたもので、その反対語として派生したsaving faceはもっと新しいのだという:

www.phrases.org.uk手持ちの辞書にもloose faceのほうは「Chineseのtiu lienの訳」とあった。*2

しかしChineseがつかなくたってprideが好ましくないものとして扱われることは意外と多い。Kippsでもそうだった。prideもdignityも。もちろん良いものとして扱われる例もあるのだけれど。

 

*1:いや自動車だから服毒でなく一酸化炭素中毒でpoisonedという想定なのかも

*2: The Concise Oxford dictionary of current English: Based on the Oxford English dictionary and its supplements – 6th edition, 1976