ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

(メモ)カシリ、神像の頭

現在ベリャーエフ「難破船の島」第四部九章の和訳中です。

ブラジルからスペインに帰ろうとした船の名前、人の名前

これは船舶の歴史を研究するドイツ人リューダース教授の発言:

Вот документы с корабля «Сивилла». Некий Себастьяно Сапрозо, состоявший на испанской службе, вез несколько бочек золота из Бразилии в Испанию.

現状拙訳:

ここにあるのはシビヤ号で見つかった文書です。セバスティアーノ・サプローゾなる人物がスペインに仕え、黄金を詰めた樽をブラジルからスペインに運びました。

船の名(Sivilla?)は意味不明。気持スペイン風味に読んでカタカナ表記してみた。人名はイタリア風。もっとも手元の英訳本(Maria K.)、仏訳本(Viktoriya et Patrice Lajoye)ではスペイン風にセバスティヤンみたいに表記している(それぞれSebastian Saprozo, Sebastián Saprazo)。

ところで私の場合、Себастьяноのьяが不審に思えてしまった。軟母音я直前においた軟音記号ьの役割はなんでしたっけ・・・?これはロシア語の入門書にも説明されているような事項であった。私の勝手な怪しい理解を、その類の説明に従わず、今回の例につき乱暴に述べるならば、答えは以下のようになる。тьを発音してからя(ヤー)と言え、ということ。ということは、軟化した子音を便宜的にチと表記したなら、チアーというよりはチヤーになる。逆に軟音記号抜きのтяにしてしまうと、発音はいわば、ть+аのように読める。たとえばхотяは(自分ならハチャーと読んでしまうけれど)ハチヤーよりはハチアー・・・。ことさら問題にしてしまったьяという組み合わせは特段珍しいものではなく、たとえば「難破船の島」で検索してみるとほぼ毎章出現し、最初の出現例はлистья, листьям(leaves)であった。

ブラジル、ボロロ族

これは前述S氏の航海日誌からの一文:

«Однажды утром, когда все мужчины были на охоте, а женщины занимались растиранием корней маниока, из которого они делают опьяняющий напиток кашири, я, проходя по окраине селения, услышал стоны из шалаша, стоявшего одиноко, у самой опушки леса.

現状拙訳:

《ある朝、男は皆狩りに出て、女はカシリ(一種の酒)を作るためマンジョーカ芋をすり潰すのに忙しいとき、私が部落の境を歩いていると森林はずれに孤立した掘っ建て小屋から呻き声が聞こえた。

カシリはウィキペディア英語版、西語版にKasiriの項目名で掲載しているものに違いあるまい。

en.wikipedia.orgしかし露語表記кашириから想像され、手元の英訳本も採用している、Kashiriという英語表記も見られる。たとえばグーグル検索すると、Thomas Athol Joyce, Northcote Whitridge Thomas編, Women of All Nations: A Record of Their Characteristics, Habits, Manners, Customs and Influence, 1915なる本に:

Kashiri is formed after two days' fermentation, and is intoxicating. It is made by pressing the brown pap through a sieve; the juice runs into a pot, from which hostess or host fills the calabash.

とある。

最後の引用に見えるintoxicatingは露語のопьяняющийに相当する。人を酔わせるнапиток(飲料)とはすなわち酒に違いあるまい。英語、露語には「酒」のように便利な単語がないということかしら。

文法の呪縛

S氏はボロロ族の娘と夜中、森林を行く。

К полночи пришли мы на лесную поляну с высоким холмом посередине. Полная луна стояла над головой, ярко освещая большого деревянного идола на вершине холма.

現状拙訳:

夜半、ぽっかり開けた土地に着き、その中央に小高い山があった。山頂に大きな木の神像があって頭上の満月に照らされている。

こう訳したときは少なくとも私の使う露語原文の「頭」головойは単数なのでS氏ら二人の頭上よりも神像の頭上と考えた・・・のだが、怪しい。というのも、各人の頭上であるし、何人いようと慣用的に頭上はнад головойと言うのかもしれぬ。実際、手元の仏訳はずばり「われらの頭上」au-dessus de nos têtesとしている。頭têtesは複数形である。英訳本だってA full moon hung above us, 「われらの上に満月が掛かって」だし・・・。手持ちの露英・英露辞書(3種)で英語overheadを引いてみると、いずれの辞書も訳語にнад головойはあっても頭を複数形にしたнад головамиは出てこない。

ところが、(今あわててグーグルしてみると)複数の頭上overheadの意味でやはり複数形のнад головамиと言うことはあるようである。たとえば「イワンの頭上で剣が交わった」が単数形「頭」の

И их мечи скрестились у Ивана над головой.(Александр Быкадоров, Лиловый рассвет

だが、「次の瞬間、剣が(両雄の?)頭上(の?)宙で交わって火花を飛ばした(?)」は複数形「頭」の

В следующее мгновение их мечи скрестились в воздухе над головами, вышибая искры.(Александр Прозоров, Алексей Живой, Испанский поход

となっている。