メモ:知られざる世界の名作2?
知られざる世界の名作
H. G. Wellsの傑作Kippsの拙訳
は中途半端にシリーズの最初の作品のつもりで「知られざる世界の名作1」としている。 同じシリーズの二番目の作品として
Joseph ConradのChance
を邦訳出版しようと考えていた。実際に最初のほうは翻訳して今二章である。
しかしここにきて「知られざる」として良いものなのかあやしくなってきた。Chanceは昔、邦訳出版されたことがあるのだ。
平田禿木訳「チャンス」
ウィキペディアにその翻訳者
平田 禿木(ひらた とくぼく)
の項があって、先のChanceも邦訳出版もその業績リストにドーンと上がっている。
新たに翻訳しなくても、出版だけどなたかしていただけば、それで良いとも思われる。もっとも大東亜戦争より前のものだから、そのままでは受け入れられないかもしれない。個人的には旧仮名遣いも味があって良いと思うけれど。
古書として、さっき見たところ、(4500円とか8000円とかで)入手もまあできそうだ。「世界名作大観」という格好良いシリーズの英国篇 第12と13巻、新たに翻訳するにしても、先達の成果は踏まえるのが望ましいところだ。うーーん。今のところ、フランス語訳とイタリア語訳を参考にしつつ、作業は進められているのだけれど。。。
初版刊行年:大正15
分量は、原文では大雑把に「闇の奥」の4倍強かと思うが、上下合わせると600ページくらいになっているらしい。―いや、実際に入手して見るとそうではなかった。「チャンス」の日本語部分を上下合わせると700ページくらいだ。上巻は原文第一部と合わせて600ページくらい。本当は700ページにしたかったらしいが、できなくて残念だ、と「凡例」の最後に書いている。
題名は「チャンス」としている。(自分以外)そう呼んでいるのは初めて見た。今まで知っているのは「偶然」*2とか「運命」*3とかという呼びかたである。イタリア語でもIl CasoとするものもあればDestinoとするものもある。―実際にはChanceを「チャンス」と呼んでいる文献は容易に見つかる:
- 岩清水由美子,『西欧人の眼に』に見るコンラッドの女性戦略, 『コンラッド研究』 第4号 P1-16 (2013年03月20日)
- p, 209, イギリス文学入門(2014) 石塚 久郎(編集)大久保 譲(編集)西 能史(編集). 三修社, ISBN: 9784384057492
なぜ題名は「チャンス」になったか
平田禿木は、「凡例」に事情を説明している。大雑把に言えば、本文のあちこちにchanceということばが出てくる(だからこそ原著の題名になったと推察する)が、場所場所で意味が定まらぬので、「チャンス」とするほかなかったのである。「偶然」の意味のときと「機会」の意味のときがあったと言う。もとは旧仮名遣いであるが、最後だけ写すと、
訳語としてひとつをもってその双方を兼ねることの困難から、原題をそのまま、この訳本に於ても「チャンス」と題することにした
なぜ「チャンス」を翻訳するか
平田禿木は、「凡例」に理由を書いている。大雑把に言って、巧みに構成され英語口語および俗語を自在に駆使して書かれた傑作であり、またコンラッドの婦人感が表われていて興味深く、かつ訳者と見解が偶然一致しているということのようだ。
実はもっと、いろいろ、すばらしさを述べているのだが、翻訳の理由なのかよくわからない。人間を見る眼においてはシェイクスピア級、みたいなことを述べている。
大慈大悲の眼(まなこ)を以て世相のすべてを観るこそ文芸の極意というべきで、この点に於て、彼は正に沙翁その他、大詩人の列に入っていると云ってよい。
大絶賛である。関係ないが、つい夏目漱石研究者のイギリス人のことを思い出してしまった。
Chanceがすばらしいか、どれほどすばらしいかは別として、コンラッドが大衆に知られるようになったのはこの作品によってだと言われている(ペンギンクラシックスの解説など)。そのわりには日本の大衆にはたぶんほとんど知られていない。著者コンラッドは日本でも有名作家であるにもかかわらずだ。興味があれば原書を求めて読めば良いのかもしれないけれど、入手しやすい邦訳があっても良いと思われる。