ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

翻訳チェック:形式的には肯定文なのに否定表現

文脈から言っていそうな意味が想像できても、そういう意味になるとは理解できないことがある。つまりはてんでわかっていないのであって、文脈によって、己の未熟さに運良く気付くということなのだ。

Kipps/Book 2/Chapter 6 - Wikisource, the free online library

"Dash it!" he said. "Dashed if I told 'em this time.… Well! I shall 'ave to go over to New Romney again!"

「しまった」とキップスは言った。「おじおばに今度も言わなかったではないか・・・しかたない。またニューロムニまで行かなくっちゃ」
ある人は、ぞんざいな英語には通じていないから、原文の下線部は最初、読めなかった。しかし文脈と「this time」から、「今回は告げる筈だったのに」とか言っているのであろうと推測した。
しかし、そうではないのだ。

むしろ参考にしているイタリア語訳がそうなっているように「今回も告げなかった」という意味なのだ。それを認めれば、答えがわかったも同然で、原文を理解するのは難しくない。
肯定文のようでありながら否定の意味になるのは、仮定による。あるいは事実上「Dashed if」が否定なのだ、と言うべきか。これはもっときたない英語で言えば「I'm damned if」と意味は同じだ。意味は辞書に載っているが、論理は、想像するに、「そうだとしたら自分はdamned」、つまり「絶対そうであってはならぬ」ということだろう。

追記

実はこの種の表現は多用され、慣れた者には、すぐわかるものと思われる。そんな一例を追加する。(下巻二章一節)

Kipps/Book 3/Chapter 2 - Wikisource, the free online library

He took up the second card. "Dashed if I can read a word of it. I can jest make out Chit-low at the end and that's all."

二番目のはがきを手に取った。「これでは一言も読めないぞ。読めるのは最後のチッタロウ、それだけだ。」