ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

どういうこと?もしも1ペニーあったなら

人は、もしも1ペニーあったら、どうする?と考えるものなのだろうか?

と言っても何のことかわからないが、(ある人にとっては)同じくらい唐突に、「If I had a penny」で始まる独り言か、つぶやきか、思ったことなのか、そういう箇所がKipps: The Story of a Simple Soulにはあるのだ(上巻四章一節)。

Kipps/Book 1/Chapter 4 - Wikisource, the free online library

"If I 'ad a penny I'm blest if I wouldn't go and chuck myself off the end of the pier.… She'd never miss me.…" He followed a deepening vein of thought.

"Penny though! It's tuppence," he said after a space.

 

素朴に訳せば「もしも私に一ペニーあったとしたら・・・」・・・「しかしペニーだぞ。それは二ペンス(硬貨)だ」となるが、どういうことなのだろう。

仮説としては、「ちょっときっかけがあれば、きっと○○するに違いない・・・」とつぶやいたあと、きっかけが表現上、「一円でもお金をやると言われたら」(あるいは「一円でも得になるのなら」)というような形をとるので、文字どおりとるとそれでは安すぎると思い直して「一円ではなく二円は必要」とつぶやいた、というような解釈が考えられる。

もしそれでいいなら、「一銭でだって○○してしまいそうだ・・・」あるいは「一文の得にでもなるのなら、きっと○○するだろう・・・」というような訳にするのだけれど・・・いいのかな?

ところで、I'm blest if 〜  notというのは、ある種の強調ととらえてしまう。(だから、だいたいにおいては「If I had a penny I would go and chuck myself ...」と同じ意味と考える。)「blest」というのは正しいつづり(blessの過去分詞)でdamnedに似た意味。また「tuppence」はtwopenceをタプンスのように読む場合の音を記したものと考える。

またさきに「一ペニー」「二ペンス」のかわりに「一円」「二円」と書いてみたが、イタリア語訳*1では、数字として一、二ではなく、なぜか、二、四になっている(「due soldi」「quattro」)。

追記1.イタリア語の二や四

イタリア語で、二(due)や四(quattro)はわずかであることをいうのに用いられることがあるというご指摘があった。そういわれて辞書をみるとたとえば、quattro soldiが少しのお金(英語a little money)の意味となる例文があった。

追記2.呼応する箇所

「唐突」だと書いたが、実は、かなり前の方(一章四節)には、「もしも1ペニーあったら」は含まないものの、やや似た文がある。

"I'd do anything she asked me to do," said Sid—"just anything. If she was to ask me to chuck myself into the sea." He met Kipps' eye. "I would," he said.

別の人の話だけれど、その人に頼まれれば、何でもするだろう、とキップスに親友シドが言っている。

 

 

 

*1:Valentina Capocci訳Lavinia Emberti Gialloreti改訂Kipps. Storia di un'anima semplice