ある日本人の英語

H. G. Wellsの小説「Kipps: The Story of a Simple Soul」の翻訳出版に向けた作業ブログ a one-man effort to translate a novel by H. G. Wells, “Kipps: The Story of a Simple Soul” (1905) into Japanese and publish the results

コンラッドの「闇の奥」英語読解メモ(第一部)

ジョゼフ・コンラッドの小説「Heart of Darkness」第一部から、気になることをここに書きつけていく。ページ番号は手元の[ペンギン本]のもの。

Heart of Darkness Part 1読解メモ

Page 3, swung to her anchor

冒頭の文にある。自動詞、過去形。(制動を受け、概ね水平に回るか振れて)錨の方に向いた、ということだろう。ただし、原意を保ちつつ文全体を自然な日本語にするのは難しい。

既存の訳本では「ゆっくり流れのままに揺られながら、錨をおろしていた」[岩波文庫]や「船首の錨をおろし」[古典新訳文庫]と、原意とやや違う印象だが、文全体として自然な読みやすい和文になっている。

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Page 10, It was only months and months afterwards

これは強調構文でありIt was only ... (when ...) that I heardなのだから、「何ヶ月もあとになって(・・・する段になって)やっと(始めて)知らされたのだが」という意味のはずだ。

It was only months and months afterwards, when I made the attempt to recover what was left of the body, that I heard the original quarrel arose from a misunderstanding about some hens.

 邦訳ではやや印象が異なる。「死体の回収を試みたのはそれから何ヶ月もたってからだが、そのとき聴いた話では」という具合だ。文言は[古典新訳文庫]から借りたが[岩波文庫]も似たようなものだ。全体を自然に読めるようにしようとするとそうなるということか。

Page 19, the launched earth

妙なことばだ。動き出したearthとは?渓流の音に速さを感じるというのだからこのlaunchは(船の進水式の)進水か。

 

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Page 21, splay feet

足の異常に開張足というものがあり、英語でsplayfootというそうだ。一般向け医学用語の辞書には「異常に平坦に開いた足。具体的に(?specifically)扁平足」などとある[MWMD]。Heart of Darknessに、こんなところがある。

Caravans, strings of dusty niggers with splay feet arrived and departed;

この方々は裸足で、たぶん足の指のあたりが開いてべったり地面に着いている感じなのだろう。

邦訳では「外輪で扁平足」になったり[岩波文庫]、「がに股」になったりする[古典新訳文庫]。前者は英語辞書[COD]中のsplayfootの定義broad flat foot turned outwardに似て、おそらく正統といえるが、後者「がに股」は、少なくとも引用部分だけ見たとき、疑わしい。

がに股で立っていれば足は外を向くだろうから結果splayed feetになるかもしれない・・・。splayedというと外に開いた感じらしい。ヒヨコなどの足が開いてお腹が床についてしまって立てない状況はsplayed legsという。また(人間では)男性が楽に腰かけるとsplayed kneesとなる傾向にあるとか。がに股でなくとも。自転車をこいでsplayed knees、これはがに股に似ている・・・

いずれにせよ、「がに股」と書けば、「外輪」「扁平足」「開張足」とかと書いてあるよりはるかに読みやすいことは認めざるを得ない。

Page 22, the lamentable voice of the chief agentの次のHe

正直、この場面では誰が話しているのか最初、読み取り損ねた。

All the carriers were speaking together, and in the midst of the uproar the lamentable voice of the chief agent was heard ‘giving it up’ tearfully for the twentieth time that day.... He rose slowly. ‘What a frightful row,’ he said.

ここだけ読んだのではわからないが、lamentable*1声の主、chief agentは、ゆっくり立ち上がった彼(He)、「なんて騒ぎだ」なんていう彼(he)ではない。引用の原文の前に出てくる人物は病人(‘agent’)、これが、泣きごとの主。その前は主任会計(chief accountant)で、これがHeでありheなのだった。

 手元の訳本を見ると(二冊そろってHeを「彼」とは言わず主任云々と言い)いかにも泣きごとの主と別人であるようになっていて、原文よりも誤解しにくくなっているので、良い。

Page 26, the general rout of constitutions

見出しの句は多義語の組み合わせであり、正確なところはわからないが、constitutionには、(体力や健康などに関する)体の状態という意味もあり、routに惨敗、壊走のような意味もあることを知れば、文脈からどういうことを指しているか推定できる。

His position had come to him—why? ... he was never ill  ... He had served three terms of three years out there. . . Because triumphant health in the general rout of constitutions is a kind of power itself.

こんな感じなことを言っているに違いない。「頼まずともポジションのほうからやってきた。それは、奴が病気知らずだからだ。現地で三年任期を三期こなした。まわりが体を壊して敗退するなか、健康の勝れること、それ自体がパワーなのだ。」

一方、下線部the general rout of constitutionsに「ただ肉体だけが自慢のごろつきども」という訳をあてる立場[岩波文庫]もあり、これはroutの(さきとは別の意味)assemblage or company esp. of revellers or rioters[COD]かそれに近い意味を採用したことに相当する。さらにroutには、桐原書店のコリンズ英英大辞典などによれば、古い意味として「夕刻の洒落た社交的な集い」みたいなもの(fashionable social gathering in the evening )もあるらしい。 

Page 26, by the little thing that it was impossible to tell what

これはgreatとlittleの対比のおもしろい、そして構造の疑わしい文だ。

He was great by this little thing that it was impossible to tell what could control such a man.

意味は通じる。和文にしたら「その手の人間を律するものがあるとしたら何だろうか見当もつかぬという、ちっぽけなことによって、奴は偉大であった」というような感じになろう。もし原文のthingがfactであったなら、気にならなかっただろう。言い換えれば、このthat節をnoun complement clauseとして解釈することしか思いつかないということだ[SGSWE 9.13]。本来、その構文が適用できる名詞(この種のthat節が修飾できる名詞)は限られていて、thingが該当するとは思わない。しかし事実(fact)は事(thing)の一種であるし、むしろthat節で修飾される結果、thingの意味合いがそれに相応しいもの(fact、assumptionとかobservationとかに類するもの)に絞られると考えるべきなのかもしれない。

形式的にはthatを関係代名詞、it was impossible to tell whatを挿入句と見られないこともないが、意味がおかしくなる。×「この手の人間を律するような、(当時)何なのかわかりようもなかったが、ちっぽけなことによって偉大であった」

Page 27, it was borne upon me

これでもよいのかもしれないが、inを補って解釈する。すなわち

Afterwards I took it back when it was borne in upon me startlingly with what extreme nicety he had estimated the time requisite for the ‘affair.’

辞書[COD]により「と確信した」と読める(it was borne in upon me⇒it became my conviction)

Page 27, the redeeming facts of life

この語句の意味ははっきりしない。読者それぞれの読み方をすればよいような気もする・・・

I went to work the next day, turning, so to speak, my back on that station. In that way only it seemed to me I could keep my hold on the redeeming facts of life.

もともとredeemは買い戻すという意味だったように見えるが*2、辞書の見出し語にあったredeemingは「過ち(だか欠点だか)を埋め合わせる、帳消しにする」という感じ(offsetting or counterbalancing some fault)[Random House]。ここでは軽く、精神衛生のために自分の仕事に専念した、という感じで受け止めておこうか・・・

answers.yahoo.com

訳本では「たしかな人生の事実」[岩波文庫] 、「意味のあることをしているという感覚」[古典新訳文庫]とある。前者は読者に解釈の自由を残す翻訳であり、後者は読者に解釈の負担を残さないよう配慮した翻訳である。

英語学習辞書にa fact of lifeという句があり、「(いかに忌まわしくとも)無視できぬこと」とあり、例文として「人皆いつかは死ぬべし、これa fact of lifeなり」とある[OALD]。これが束になれば、(目を背けたい)無視できぬ現実をなすだろうが、そのうちredeemingなものとは、何らかの見返りにより(?)挽回してくれる fact of lifeであり、つまり好転してくれるか何かで埋め合わせてくれるものであり、話者(マーロウ)としてはそれらは放さないで自分のものにしておきたいのであろう。つまり背を向けるという表現があって、まるで現実逃避のようだけど、対処することで道が開けるような現実にはしっかり対処したい。そのためには自分の仕事に専念することしか考えられなかったと言うのであろう。

Page 31, go to.

この go toというのは古風な間投詞(感嘆詞)!またmuffは、まぬけ、どじの類のようで運動競技由来のことばとのこと[COD]。

Heap of muffsgo to.

おのれ、たわけどもめがあ(?)

Page 34, has a charmed life

主語は、その地に出没するカバ。この文は、およそ「あいつは不死身だ」と訳される。

That animal has a charmed life,

下線部は英語学習辞書によると、あたかも魔法で守られているかのように幾多の危険をくぐり抜けてきたことを言う[OALD]。

Page 35, I put my finger to the side of my nose

我輩は指を鼻に並べて由ありげなさまで頷いた。

I put my finger to the side of my nose and nodded mysteriously.

「右手人差し指で天を指し鼻の右側面全体につけ・・・」とこのリンクに説明されている動作は、私は言わないよ、君には教えないよ、という表現なのだとか。

www.usingenglish.comイギリス以外では通用しないおそれがあるが、ここでは、外国の会社の仕事で来ているにもかかわらず、相手には通じたようだ。でかしたぞ、と踊り出す。

‘Good for you!’ he cried, snapped his fingers above his head, lifting one foot.

文献

それぞれの項目内に明記したものやリンクしたもの以外、主な情報源は以下のとおり。

原書

ペンギン本

Heart of Darkness and the Congo Diary (Penguin Classics) 2007, ISBN: 978-0141441672

邦訳

岩波文庫

中野 好夫訳「闇の奥」 (岩波文庫 赤 248-1) 1958, ISBN: 978-4003224816

古典新訳文庫

黒原 敏行訳「闇の奥」 (光文社古典新訳文庫) 2009, ISBN: 978-4334751913

辞典

COD

 H.F. Fowler and F.G. Fowler, The Concise Oxford Dictionary of Current English, Oxford Clarendon Press 1929

MWMD

Merriam-Webster Medical Dictionary 2016, ISBN 978-0-87779-294-9

OALD

A.S. Hornby, Oxford Advanced Learner's Dictionary of Current English 4th edition 1989

Random House

The Random House College Dictionary, ISBN: 0-394-43500-1

英文法

SGSWE

Douglas Biber, Susan Conrad, Geoffrey Leech, Longman Student Grammar of Spoken and Written English, Pearson Education 2002, ISBN: 978-0582237261

 

 

*1:フランス語lamentableの意味で読むのがよいのだそうだ

*2:ラテン語redimo=red+emo